― 侘び茶の精神を基本に、明快で率直な江戸前の茶の湯 ―
江戸千家は、川上不白(かわかみ ふはく)が寛延3年(1750)に京都より江戸に下り、千家の茶を伝えた茶の湯の流儀です。流祖:川上不白は、享保4年(1719)3月、今の和歌山県の紀州新宮藩川上五郎作の二男として生まれ、享保19年(1734)、16歳で表千家七代目宗匠如心斎天然の内弟子となって、茶道の修行を始めました。
32歳の寛延3年(1750)10月、如心斎宗匠の「江戸に千家の茶を広めたい」との願いと、それには高弟の不白がよいであろうということになり、江戸に下りました。
それまで、如心斎の側近で修業し、かつ共に大徳寺大竜和尚に参禅したり、不白ただ一人だけが如心斎に許されて、その肖像画を描いたり、七事式制定に深く参画したりするほど、師・如心斎の信頼を得ていました。
不白は、上方を発祥とする茶の湯の考え方に、江戸っ子の粋を吹き込み、明快で率直な江戸前の茶の湯を実践していきました。
不白は、89年の生涯を通じて、格式ある書院の茶や利休によって大成された草庵の侘び茶の精神を基本として、亭主と客が一日を和やかに楽しく過ごし、生活の中に茶の湯の心が見られるように努めたのでした。
以来、川上家の代々が江戸・東京の地にあって千家の茶の湯、不白の茶の湯を今日に守り伝えています。
※ 参考 『江戸千家テキスト1 江戸千家入門』 川上閑雪(当代家元)書
「日刊スゴい人 ―日本人の文化を後世に伝え江戸千家を受け継ぐスゴい人!―」
川上 紹雪(若宗匠) 2012-07-06 http://sugoihito.or.jp/2012/07/3079/
『賢人の食と心 第11回「平常心是茶」茶の湯に宿る日本人の心(前編)』
川上 紹雪(若宗匠) 2014-03 http://www.shokuiku-daijiten.com/kj/k011/
『 同 (後編)』 http://www.shokuiku-daijiten.com/kj/k011_b/
江戸千家宗家蓮華庵の公式ホームページです http://www.edosenke.or.jp